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とても面白かった。近頃はもうこれからの世の中を生きていくめぼしいスキルなどなにもない。能力のすべてがこれっぽっちもないんじゃないかという気持ちでどうしようもねーな、何かを始めようにも、何のとっかかりも、ましてや、そんな意欲気力さえも出てこない有様で、結局、僕は何も生み出せない人間であって、それは結局、昔からこういった受動的な趣味に終始して、受け取る能力ばかりが発達して、発信する能力が明らかに欠けているからであって、ということを理由にしてみたりしていて、受動的な事柄は能動的な事柄に繋がっていかないということ、雨の日にホームレスが、橋の下で夜の街灯を頼りに読書をしていた。それが何になるっていうんだ。結局、彼はいくら本を読もうがホームレスのままだ。その行為は決して何にも繋がりやしない。その行為と、次の行為とを繋げることでしか、何にもならないじゃないかと。やりたいことをたくさん思いついてみたって、できっこないレベルの考えでしかなくて。もう、おせーな。とっくに歳は取りすぎた。このままでいいのかっていう焦りは結局消えなかった。夢がなくなったら人生はおしまいだ、その通りだ。どうしたらいいのかなんて自分で考えるしかないことを考えることができないのは甘えだと言われても困る。それでも、そんな状況だとしても、こんな受動的な僕の嗜好が僕を救う。僕より歳下の人間の成功を妬む。30歳代の人間の順調な人生を見て焦燥と絶望に駆られる。それでも、そんな状況でも僕は受動的な趣味がやめられない。受動的な趣味が僕を救ってくれる気がするから。本当は、何にも変わらない、変えちゃくれない、ただの、勘違いだとわかっていたって、僕は、あの雨の日の夜の橋の下の街灯で本を読むホームレスと同じだ。